東京探訪・隅田川の橋
回向院から北に約800m進むと千住大橋が見えてくる。 この大橋が架けられたのは、家康が江戸に入って4年目の1594年。隅田川に最初に架けられた橋だった。 新しい体制整備のために陸奥、常陸、房総の各方面との交通を潤滑に行うという目的だ。 最も交…
回向院から線路沿いに南に歩くと、三ノ輪の浄閑寺が見つかる。 この寺の墓地の中央に大きな供養塔が建っている。 「新吉原総霊塔」。ここは江戸時代随一の花街・吉原と深い因縁を持った寺だ。 吉原の遊女は通常、3年半ほどの契約で雇われる。その後年季明け…
千住汐入大橋でいったん散策を中断して、後日改めて千住大橋を目指して地下鉄日比谷線に乗り、南千住で降りた。 この駅のすぐ南側は江戸時代小塚原(こづかっぱら)刑場のあった場所だ。刑場は罪人を処刑するところ。南の鈴ヶ森刑場(現品川区南大井)、西の…
さらに上流に進もう。白髭橋が見えてくる。ただ、工事中で橋がカバーで覆われている。アーチのすっきりした姿が見えないのが残念、 この橋も厩橋と同様に地元有志が基金を募って架けられた民間の橋だった。1914年完成で、当時の通行料は一人一銭だったと…
川岸に戻って、上流に進む。前方に見えてくるのが桜橋だ。 隅田川に架かる橋の中で唯一の歩行者専用橋となっている。 ここも1985年完成と、比較的新しい橋。 橋の両端が2つに分かれ、中央部で交わるX型をしていることでも特徴的だ。 端から見ると、2…
言問橋の西岸を川岸に沿って歩く。 ちょっとした公園になっていていろいろな花々が咲いていた。 本当にほっこりとした気持ちにさせる優しい散歩道だ。 ほどなく、一つの碑が見つかった。「花」の碑。タイトルだけだとピンとこなかったが、歌詞を見るとすぐに…
言問団子の店から墨堤通りの道を横断すると、 これも有名な長命寺桜餅の店がある。長命寺に仕えた山本新六が墨堤の桜の葉を塩漬けにし、餅をくるんで売り出したところ評判を呼び、名物になったという。 餅は3枚の葉に包まれており、葉の香りがプーンと香っ…
「隅田川の新しい六大橋のうちで、清州橋が曲線の美しさだとすれば、言問橋は直線の美しさなのだ。 清州は女だ、言問は男だ」。 川端康成は「浅草紅団」の中で言問橋をこう定義している。 明るいグリーンが青空に映える、すっきりとした橋姿。川端の時代から…
オレンジ通りの浅草公会堂前には、沢山のスターの手形が掲示されていた。 浅草は大衆芸能の人気者を輩出した場所。ということでその振興に貢献した人たちを讃えて毎年数人ずつの手形を新たに加えているという。 第1号は美空ひばり 続いて大スターたちがずら…
浅草にそびえる塔といえば今は浅草寺の五重塔だが、以前もっと違った塔が建っていた。凌雲閣。別名「十二階」。 その場所がどこかと聞いてみると、現在パチンコ店となっている場所にあったことを教えてくれた。 控えめな案内板が立っていた。 正式名称は「凌…
さあ、浅草の街を少し歩いてみよう。吾妻橋の西詰には、東武鉄道浅草駅が入る駅ビルが建つ。地上7階地下1階のアールデコ様式のこのビルは、かつての鉄道省初代建築課長、久野節が設計し、1931年に完成したもの。上階には松屋デパートが入り、東京初の…
吾妻橋。この橋の西詰から眺める「リバーピア吾妻橋」と呼ばれる風景は、一種現代の東京を代表するものといえる。 赤で統一された橋桁の向こうに東京スカイツリー、墨田区役所、アサヒビール本社ビルと金色の炎を表すオブジェ(フィリップ・スタルク作)が見…
厩橋を過ぎると駒形橋が見えて来る。橋越しに、もう東京スカイツリーは目の前にそびえて見える。 名前の由来は、橋の西詰のお堂からきている。 この堂は駒形堂。浅草寺縁起によると、平安初期の942年、安房守平公雅が浅草寺観音堂を建てた時ここにちいさ…
両国橋の1つ上流にあるオレンジの橋が蔵前橋だ。 近くに幕府の米蔵があったことにちなんで、橋の色も稲穂を連想させる黄色が使われている。 大相撲の舞台となる国技館が、第二次世界大戦後の昭和25年から59年まで蔵前にあったため、橋には力士の絵柄の…
柳橋は、神田川が隅田川に注ぎ込む河口に架かる橋だ。江戸時代は、この界隈は花柳界として栄え、 幾つもの料亭が軒を連ねていた。 今では、その1つ「亀清楼」がビルとなって残っているが、他はほぼ姿を消してしまった。 とはいえ、船宿と佃煮屋を兼ねた「小…
両国駅横に新しい観光スポットが誕生した。「両国江戸NOREN」。中には飲食店がずらりと並ぶ広い空間があり、 真ん中にドンと鎮座するのは土俵。実際の大きさにできており、ここで各種イベントも開催されるという。観光案内所も併設されていた。 そこか…
両国橋を渡って回向院のある京葉道路(国道14号線)を東に進むと、芥川龍之介生育の碑が立っている。 築地編で見た通り龍之介は生後間もなく実母が亡くなり、築地から両国にある芥川家に養子となり、大人になるまで現両国3丁目のこの地で育った。 通った…
両国橋を渡って少し歩いてみよう。 橋のたもと近くに大きなイノシシの看板を掲げるのは、「ももんじや」。櫻鍋の名店だ。 その先に回向院がある。ここは1657年の明暦の大火によって犠牲となった10万人もの人々を供養するために特別に建てられた寺だ。 …
(歌川広重「両国橋大川端」) 明暦の大火の教訓から、市街地の再開発がすすめられた。江戸城を中心にして中央部に密集していた武家屋敷を、上屋敷と下屋敷などに分散するとともに、要所要所に延焼防止の空間を設けることで、大火を未然に防ぐ工夫がなされた…
両国橋は、千住大橋に次いで隅田川で2番目に架けられた橋だ。その原因となったのは、1657年に発生、10万人もの死者を出したの明暦の大火。 (橋本貞秀「東部両国橋夏景色」) 大火の際逃げようとした江戸の町民たちは、隅田川まで来ても川に阻まれて…
新大橋は、清州橋の上流に位置する。「新」といっても完成は1693年。両国橋の次に隅田川第3の橋として架けられたが、両国橋が当時は「大橋」と呼ばれていたため、「新大橋」と名付けられたもの。 もちろん現在の橋は新しく、1977年の完成だ。 夕暮…
万年橋は、支流の小名木川が隅田川に注ぎ込む河口に架けられている。緑色の鉄骨製、短い橋だが歴史的意味も含めて存在感は格別だ。 小名木川は、江戸に拠点を置いた徳川家康が江戸城建設に先立って真っ先に掘割を実施したところだ。行徳の塩を始めとして各地…
隅田川大橋の上流は清州橋。 優雅な橋桁のアーチを持つ吊り橋だ。現在の橋は1928年に完成した。 男性的な永代橋とは対照的な女性らしい柔らかさを備えており、ここも永代橋、勝鬨橋と並んで国の重要文化財に指定されている。 ドイツ・ライン川に架かるケ…
北上して清澄庭園付近まで来ると、深川江戸資料館がある。江戸時代の深川の街並みをそっくり再現した館で、すっぽりと江戸にタイムスリップできる。 館内2階に上がると、下町の屋根が見える。よく見るとネコが1匹。 夕暮れの長屋の通り。情緒豊か。 隅田川…
永代橋を渡ったついでに、少し足を延ばしてみよう。 そのまま東に進めば、左手に富岡八幡宮に到着する。 ここは昨年暮れ、宮司を弟が刺殺するという事件が起きて注目された神社だ。だが、本来は徳川家の厚い保護を受けた由緒ある神社で、「深川の八幡様」と…
永代橋は1698年、五代将軍徳川綱吉の50歳の誕生日を記念して、隅田川に4番目に架けられた橋だ。アーチ式の美しい形をしている。 正面から見ると、鋼製の頑丈な構造。重厚で巨大な怪物が襲いかかってくるかのような威圧感がある。 アーチの幅は1.5mも…
佃大橋は、景観的にはあまり見栄えのしないものだったが、その1つ上流にある中央大橋は、対照的に隅田川全体の中でも1,2を争う優美な姿を誇っている。 1993年の完成。真っ白な橋桁からワイヤーが伸びて広がる。 32本の斜めに張ったケーブルを橋桁…
勝鬨橋の一つ上流には佃大橋がある。この橋は、オリンピックと深い関係がある。完成は1964年。つまり前回の東京五輪開催に備えた関連道路として建設されたものだ。 こうしてみると、隅田川最下流の3つの橋は➀勝鬨橋=中止になった1940年の幻の東京…
築地に行ったついでに、この周辺を散歩してみよう。 勝鬨橋手前にある築地市場。 それに、すぐ近くの築地本願寺。築地の二大ランドマークともいえる。 高くそびえる聖路加タワー。この辺りは学問の歴史上からも重要な場所だ。 聖路加看護大学前には、「日本…
隅田川に架かる橋巡りを始めようと、まず最下流の勝鬨橋を目指した。地下鉄日比谷線築地駅で降り、東に歩くと、堂々とした橋が見えてくる。 橋の完成は1940年。実はその年に開催予定だった幻の東京五輪と国際博覧会を目指して建設が開始されたものだった…