2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧
両国橋の1つ上流にあるオレンジの橋が蔵前橋だ。 近くに幕府の米蔵があったことにちなんで、橋の色も稲穂を連想させる黄色が使われている。 大相撲の舞台となる国技館が、第二次世界大戦後の昭和25年から59年まで蔵前にあったため、橋には力士の絵柄の…
柳橋は、神田川が隅田川に注ぎ込む河口に架かる橋だ。江戸時代は、この界隈は花柳界として栄え、 幾つもの料亭が軒を連ねていた。 今では、その1つ「亀清楼」がビルとなって残っているが、他はほぼ姿を消してしまった。 とはいえ、船宿と佃煮屋を兼ねた「小…
両国駅横に新しい観光スポットが誕生した。「両国江戸NOREN」。中には飲食店がずらりと並ぶ広い空間があり、 真ん中にドンと鎮座するのは土俵。実際の大きさにできており、ここで各種イベントも開催されるという。観光案内所も併設されていた。 そこか…
両国橋を渡って回向院のある京葉道路(国道14号線)を東に進むと、芥川龍之介生育の碑が立っている。 築地編で見た通り龍之介は生後間もなく実母が亡くなり、築地から両国にある芥川家に養子となり、大人になるまで現両国3丁目のこの地で育った。 通った…
両国橋を渡って少し歩いてみよう。 橋のたもと近くに大きなイノシシの看板を掲げるのは、「ももんじや」。櫻鍋の名店だ。 その先に回向院がある。ここは1657年の明暦の大火によって犠牲となった10万人もの人々を供養するために特別に建てられた寺だ。 …
(歌川広重「両国橋大川端」) 明暦の大火の教訓から、市街地の再開発がすすめられた。江戸城を中心にして中央部に密集していた武家屋敷を、上屋敷と下屋敷などに分散するとともに、要所要所に延焼防止の空間を設けることで、大火を未然に防ぐ工夫がなされた…
両国橋は、千住大橋に次いで隅田川で2番目に架けられた橋だ。その原因となったのは、1657年に発生、10万人もの死者を出したの明暦の大火。 (橋本貞秀「東部両国橋夏景色」) 大火の際逃げようとした江戸の町民たちは、隅田川まで来ても川に阻まれて…
新大橋は、清州橋の上流に位置する。「新」といっても完成は1693年。両国橋の次に隅田川第3の橋として架けられたが、両国橋が当時は「大橋」と呼ばれていたため、「新大橋」と名付けられたもの。 もちろん現在の橋は新しく、1977年の完成だ。 夕暮…